2021.11.9 share
sasaki

佐々木 康晴
(ささき やすはる)

大学院にて情報科学を学んだ後、1995年電通入社。コピーライター、インタラクティブ・ディレクター、第4CRプランニング局長等を経て現職。カンヌライオンズ金賞のほか、D&ADイエローペンシル、CLIOグランプリ、One Show金賞などを受賞。2019年カンヌライオンズCreative Data Lions審査委員長。

クリエイティブの妄想が未来をつくる

 そもそも未来とは何だろう。まだ見ぬ、素敵な暮らしが待っているあこがれの世界。自分が子どもの頃には、小説や映画に似たような未来の姿がよく描かれていた。優れたデザインの高層ビルの間をクルマが飛び交い、なぜか人々は仕事をしなくても良くなり、ボタンを押すだけで食事が簡単に手に入り、ロボットが代わりに働く、的な未来。そもそも、未来を描くのは誰の仕事だったのだろう。小説家なのか、技術者なのか、政治家なのか。そして新型コロナウイルス感染症に翻弄される今、そんな素敵な未来の姿はみんなに見えているのだろうか。

 課題だらけに見える今こそ、素晴らしい未来像を提示することが必要だ。未来は最新技術をつなぎ合わせるだけでできあがるものではなく、社会や経済、人の動き、文化まで、多岐にわたって設計をしていく必要がある。誰かが未来社会のあるべき姿を妄想し、その一部を具現化して見せ、そこに向かう途中にあるハードルをアイデアの力で低くして、みんなをそちらに動かしてようやくつくられるもの。すなわち、言いすぎかもしれないが、良い未来をつくるためには、クリエイティブの才能が必要とされている。カンヌライオンズにも、クリエイティブによってつくられた、未来を予感させる活動が毎年見つかる。ここでは、そんなカンヌの「近未来を先取り」する顔について、昔を振り返りつつ考察したい。

20年前に出合った2つの予言 

 かつて広告のフェスティバルだったカンヌライオンズでは、クリエイティブが生み出した楽しい妄想が映像やグラフィックの形に変換され、みんなでそれをわあわあ言いながら見ていた。自分が初めてカンヌの会場に行かせてもらったのは1999年。Grand Auditoriumに朝から晩まで座り続け、鳥肌ものの映像表現には自然と拍手が起き、ものすごい刺激だったのを覚えている。その後もカンヌに運良く通い続けることができたが、映像やグラフィックだけでなく様々な部門が追加されていき、素敵な未来への妄想を形にする手段が増えていった。そして2004年に、自分は2つの「近未来」に出合った。今はなき、デジタル系のコミュニケーションや体験のカテゴリーであった「サイバーライオン」。そのときに未来を先取りしていると感じた作品の1つは、このサイバーのグランプリを獲ったNECの「Ecotonoha Project」である。

 Ecotonohaは、みんなの投稿メッセージが木の葉の形になり、一人ひとりの声と声が枝でつながって木が育っていき、デジタル上で1本の木ができあがると、実際にNECがオーストラリアに1本の植樹を行う、という取り組みである。取り組みだけでなく、何よりデザインとインタラクションが美しかった。この頃、ネットの使い方としては「メディアコストをかけずにバズらせることができる」というものが多かったが、その中においてEcotonohaは、「一人ひとりの参加によって、世の中が良い方向に変えられるかもしれない」という、ネットを使った新しい未来社会参加の形を見せてくれたのである。Twitterがスタートする2年も前の事例。しかしその後ソーシャルメディアは広がったものの、一人ひとりが参加するネット社会が、むしろみんなで揚げ足を取り合い、みんなで沈んでいくような方向に向かってしまっているのは、なんとかしないといけない。

佐々木氏図表1 ecotonoha

 もう1つは、同じく04年のサイバーライオン金賞の、Vodafoneの「Future Vision」というWebサイトである(受賞の作品名は「New Technology」)。初代iPhoneが発売されるよりも3年前。すなわちまだ誰もスマートフォンのある生活を知らない頃。通信が速くなり、一人ひとりが通信端末を持つようになると何が起きるのかを、単なる映像ではなくインタラクティブに体験させてくれた、まさに未来的なサイトであった。透明なウェアラブル端末に話しかけるだけで、どこにいても様々なサービスが受けられる、という妄想の具現化。通信会社は電話機やデータ通信を売るのではなく、新しい生き方を提供する会社なのだと気づかせた施策であり、その先取りされた未来像はとてもワクワクするものであった。まだ見えない未来を描き形にするクリエイティブの力にあこがれ、自分もここを目指したいと強く思ったのを覚えている。そしてご存知のとおり、その後、誰もが24時間通信端末を握りしめるスマホ時代がやってくる。

コロナ禍の今こそ欲しいゲーム

 クリエイティブの思い出話をしていると、多分100ページくらい使ってしまいそうだ。クリエイティビティによって具現化される「近未来の先取り」のような施策は、ほかにもたくさんある。特にデジタルの普及によって、クリエイティブが映像だけでなく体験も提供しやすくなってからは、数々の事例がつくられていった。

 自分がお手伝いさせてもらった過去の仕事から選ぶとすると、この「未来先取り」文脈において印象に残っているのは、2010年頃の、Hondaの「ケートラ」というゲームかもしれない。これもまだスマホが普及する前の、ガラケー時代のお話。「移動」する楽しさを、移動できない人にも楽しんでもらうにはどうするか。移動しなければいけない人に、その移動をもっと楽しく感じてもらうにはどうすればいいか。できあがったのは、自分の代わりに自分のアバターが、ほかの人の携帯電話を「乗り物」にして勝手にヒッチハイクしていき、乗せてくれた人と会話し、全国のお土産を集めていく、という携帯位置情報ゲーム。当時数十万人のユーザーが遊んでくれて、仕事が忙しくて都心を離れられないビジネスパーソンと、長距離を走りまくるトラックドライバーが、ゲーム上で出会って、乗せてくれたこと、乗ってくれたことのお礼を言い合う、みたいなことが起きていた。

 後から言うのは簡単なことだが、コロナ禍で家を出られない人が多くいる今、流通の人たちが大変になっている今、もしこのゲームがまだ残っていたら、少しはやさしい社会をつくるお手伝いになったのかもしれない、とも夢想する。ちなみにケートラはカンヌではそれほどの賞は獲れなかったものの、D&AD賞(英国Design & Art Direction設立の賞)でなぜかイエローペンシルをいただき、数年間みんなの移動の楽しみを盛り上げた後、惜しまれながらクローズした。

社会インフラを一変させるアイデア

 さて、最近のカンヌ入賞事例からも、「未来先取り」について見ていこう。先取りすると言っても、Vodafoneのように未来社会全体を描くような話もあれば、未来の基礎になる要素技術を見せてくれる事例もある。ここではその「未来をつくる要素」の例として、まず、15年のイノベーション部門グランプリを受賞した、「3 Words to Address the World」を挙げる。世界人口のうち、なんと75%・40億人が、貧困などの理由で住所を持っていないという。その人たちには、医療も、行政サービスも、水や食料を届けるのも簡単ではない。そこで、世界のすべての場所を3m×3mのサイズに区切り、その場所をたった3ワードの組み合わせ、例えば、hello.orange.yellow のような表記でアドレス可能にする、という革新的な試みである。国ごとの住所表記の違いもなく、ややこしい数字も使わず、世界のすべての場所が覚えやすい3ワードで表現できるアイデアと、その実施のためのシステムやAPI(Application Programming Interface)。これは様々な社会トランスフォーメーションに応用できる。都市部の人たちも、どこにいても荷物が受け取れる。そしてそれだけでなく、行政、経済、福祉など様々な変革にもつながる素晴らしいクリエイティビティである。

 それから、2020/2021の受賞作で言えば、個人的には「Anticorruption Hackathon Známkamaráda」という、ブランドエクスペリエンス&アクティベーション部門とダイレクト部門で金賞を獲った事例が面白い。チェコ共和国では政治の腐敗が続き、民衆もなかなかそれに反抗できない状況が続いているなかで、政府・公共のeコマースプラットフォーム構築の仕事が1600万ユーロで、とある企業と随意契約されたという。高すぎる、なぜ入札にしない、その企業と癒着しているのでは、などの思いがあるなか、文句を言うのではなく、行動が起きた。政府が要求したものと同じ仕様のシステムをみんなの手で作ってしまおう、という集中的に開発を行う「ハッカソン」が実施され、194人のプログラマーがボランティア参加し、48時間で完成させたという。その後この案件に関わった大臣は罷免される。これも、既存のハッカソンという仕組みを生かしつつ、アイデアとプロデュースの力によって、文句や揚げ足取りではない市民参加型の前向きな未来構築方法を見せてくれた、とても興味深い事例である。

審査は新しい価値創造の評価に着目

 今のカンヌライオンズには、強烈な面白さでブランドのファンをつくる表現から、海洋ゴミ問題の深刻さを共感深く伝え、少しずつ未来を動かすようなアイデアまで、世界から多様なクリエイティビティが集まるようになった。どの部門でも共通しているのは、メディアやカテゴリーの枠組みに囚われすぎることなく、新しい価値創造を評価する、ということである。カンヌの審査員たちは、その部門ごとの視点で「来年向かうべき新しい方向性を提示しよう」という気概で審査をしている。去年とは違うデザインの価値を示す、来年につながる新しいデータの使い方を見せる、などの事例を探す。その新しい価値や方向性が、単純に今までの人々の暮らしの延長線上にあるならば、我々はこのまま良いものをつくり続けていけばいい。

 しかしここ数年においては、環境問題だけでなく、コロナ禍の問題、社会不安の問題、人々の不寛容さの問題、分断など、答えが見えない大きな壁がたくさん現れている。すなわち冒頭に書いたように、進むべき未来が見えにくくなっている。今大切なのは、俯瞰的な視座でたどり着くべき未来を提示し、時には人文科学、社会科学、理学・工学などの裏付けも得ながら、そこに向かうための意外な手段を形にする、というクリエイティビティである。そしてカンヌでは、審査員の「新しい価値を見つける」という気概から、そうした未来を占うような事例を毎年見つけることができる。見えにくい未来のなか、審査員たちがキュレーションする「未来に向かうべき方向性」を感じ取ることができる。

 素敵な未来も、たどり着けなければ意味がない。「平和な社会で暮らしたい」とか、「いい環境で安全に生きていきたい」など、みんなが願っているけれど簡単には手が届かない、そんな「遠いセンチメント」と、目の前の笑いたい、楽しみたい、助けたい、というような「近いセンチメント」、この2つのセンチメントをつなぐのがクリエイティビティだと思う。面白そうな社会改善。簡単に始められる未来生活。感動できる環境活動。カンヌにはいつもそうした、未来に太くつながるクリエイティビティが並んでいる。

 これから、一般の人々の声はさらに強まり、手に入るデータも増えてくる。すぐ解決しなければならない目の前の課題が増えてくる。そのようななか、クリエイティブとしては、目先の課題解決だけでなく先の未来まで妄想し、そこにみんなを連れて行くアイデアを出すことを忘れないようにしたい。メディアも手法もどんどん変化し、表現のカテゴリーが溶けていく今、カンヌが持っている「次の方向性を指し示す力」をさらに強めて、未来をつくるクリエイティビティ・フェスティバルに進化していくと面白い。願わくば、それこそ近い未来には、リアルなカンヌにみんなで再び訪れて、時差ボケとロゼワインに酔いながら、受賞した事例のカメラアングルの話と未来の視座の話を同時にごちゃまぜにしながら、わいわいと語り合いたいものである(それから、カンヌで2回もスリに携帯を奪われたことがある自分としては、スマホが盗まれない安全な近未来も、ついでに来てほしい)。